空のっぽと雲ひげ

サンドアートとつれづれ日記

出産の夜

 1月7日の夜に、赤ちゃんを産んだ。

 ようやく本格的な陣痛が始まったのは、予定日の1月6日を回ってから。

 1月7日、午前3時過ぎ頃から、間隔が5分おきになる。

神棚に向かって、Sくんと二人、手を合わせる。

 玄関の外に出ると、すごい冷え込みよう。曇り空からいくつか星が覗いている。冬の明け方に外出するなんて何年ぶりだろう。

 午前4時半、病院到着。

個室に案内してもらった後、助産師さんより検査のためいったん陣痛室へ入るよう指示される。

 2時間ほどしてから部屋に戻った。

「子宮口は3センチほど開いてますね」と、助産師さん。

「マニュアル通りでいけば、明日の夕方くらいになるかも。先生が薬を使うと言えば、・・・お昼頃かな」

それを聞いて、少しほっとする。初産なので、半信半疑なことばかりなのだ。どんな長丁場になっても最終的に産めるのなら、がんばれる気がする 。

 などと思ったのも束の間、どんどん強くなっていく腹痛に体を横たえることができず、Sくんにベッドを譲った後、しばらくソファーにもたれたり床を転げ回ったりと悪戦苦闘は始まった。

 午前8時。陣痛の間隔が急にどんどん遠のいていったので、気持ちが焦り始める。けれど、その反対に、下腹部や腰の痛みは増していくばかり。痛くて声が出ないとか涙が出るなんて、何年ぶりだろう。

 

 そうこうしているうちに、朝食が運ばれて来た。せめて食べて気力をつけなければと思い、皿の上のモノを無理矢理口の中に押し込む。レーズンロールのほのかな甘さが嬉しかった。

泣いている場合じゃないのだ。

 午後2時、子宮口6センチ。「これでようやく半分ですね」と、助産師さん。

 午後4時、子宮口8センチ。「あら、いいペースですね」と、助産師さん。

 不規則な激痛の波に、冷や汗が出てくる。寝不足で朦朧としていたせいか、痛みのイメージが、茶と白のブロックで積み重なった搭が三角屋根を天辺にしてどんどん伸びていく様子や、白い廃墟と巨大なマーガレットの花がぼんぼんと空間を埋めていく様子、水色の空と白いインド風のお城が歪んだ風景になってぐるぐる回っていく様子など、セザンヌ風の油絵で次々に思い浮かぶ。

今思えば、この段階での痛みなど、序の口に過ぎなかった。

 午後6時半、ますますひどくなる痛さにいてもたってもいられず、ベッドの上で四つんばいになる。様子を見に来た助産師さんから、「苦しそうですね〜。そろそろ陣痛室へ行きますか?ナースステーションも近いし、何かあっても大丈夫だから」と言われ、Sくんに手を引いてもらい、よたよたと部屋を移動する。

 子宮口9センチ。

先生が来室して診察。

「う〜ん、待ってたら夜中まで長引きそうだなあ。もう体力的につらいでしょ?陣痛促進剤、使おうか。」

破水させられた後、点滴による薬の効果で強い陣痛の間隔が狭くなる。ベッドに仰向けになって寝ていると、激しい腹痛と腰痛に挟まれ、のたうちまわることもできない。

 様子を見に来た助産師さんから、「いきみ」の指導が入った。

「声を出したら体に入れる力が抜けるから、声は出さないでね。赤ちゃんの頭が降りてくるようにして。もしいきみたかったら、このままいきんでもいいですよ」

 退室間際、助産師さんが、「8時までには分娩室に入れると思いますよ」と言った。息も絶え絶えに時計を見ると、現在午後7時20分。8時までには?・・・ということは、あと40分もこの苦痛が続くのか〜?!。・・・いやいや。さすがにもう、耐えられない。体が裂けても壊れても、とにかく一刻も早くケリをつけてしまいたい!

 産まれて初めて、死に物狂い、というものになった。

繰り返し、教えられた通りにいきんでみる。無我夢中でいきみながら、Sくんの手を握ると、Sくんが握り返してくれた。

真っ暗なトンネルの中を、おなかの赤ちゃんと一緒にもぐり続ける。厚い壁にぶち当たった。もう無理だろうか。ぐらぐらの頭で考える。無理だろうか。無理かも知れない。でも、やるだけやってみようか。

頭の中が真っ白になった次の瞬間、なんとしてでも外に出ようと、

一気に自分の体を引き裂いて壊した。

「今、赤ちゃんが出たかも、助産師さんにナースコールして!!」と半分泣きながら、Sくんにお願いする。助産師さんが部屋に入るなり、「お母さん、ここでお産しましょう!」と高い声で叫んだ。最後の力を振り絞っていきむ。・・・どろり、と、この9ヶ月間自分の中に抱えていたものが、 生温かく溶け落ちた。

 3730グラムの男の子、誕生。

 この夜、自分が一度死んで、ふたたび赤ちゃんと一緒にこの世に産まれたような、不思議な気持ちになった。