空のっぽと雲ひげ

サンドアートとつれづれ日記

言葉の翼

 最近とみに、

「ママ、ぼくのことしかってばかり。ママ、ぼくのこときらいなの?」と言うちゅんちゅん。

 最初はびっくりしましたが・・・、これはまあ、本当に訊いてるわけではなくて、自分の希望に一致する結論へ導くための会話の切り出しなのです。

「なんで?ママがパパみたいにしゅっちゅう『大好きだよ』って言わないから?」

「うん」

「言わなくっても、いっぱい抱っこしていっぱいチューしてるじゃない?大好きだからだよ」

「でも、はっきりことばでいわないと、わかんないでしょ」

(うむ〜、日本語は高コンテキスト文化だと言うけれど・・・。母語を完全に習得していないという点で、小さな子供はアメリカ人やドイツ人と同じなのか・・・?)などと考えながら、こうも思いました。

 「好き」という言葉は特別かもしれない。

例えば、カレー(を食べること)が好き、漫画(を読むこと)が好き、北海道(を旅行すること)が好き・・・、アイドルの○○ちゃんが好き・・・というようなことをいう場合、聞き手に対して意識の方向が逸れているので、特別な事情がないかぎりかなり気易く口から出せる気がする。

 でも、目の前の相手に対して、本気で「好きだよ」と告げる時は・・・、特別だよね〜。つまり、自分の真心を伝えたい、言葉を心から心へと手渡したいわけだから、「好き」の質や量によらずとりあえず緊張するよね、興奮するよね(?)、精神的なエネルギーを消耗するよね〜(考えすぎ?^^;)。

だからその分、そういった言葉にはパワーがある。翼がある。心から心へと翔ぶための翼が。それはとても素敵な現象。

 そんなこんなで、とりあえず今日からちゅんちゅんにいっぱい「大好き」って言うぞ、と思ったものの、なかなかそのタイミングを計れません〜(もしかして、私ってテレ屋だったのか〜!?)。