空のっぽと雲ひげ

サンドアートとつれづれ日記

想像力という個性

 同じライブに関するアンケートでも、両極端な感想を目にする時があります。

こちらはずっと昔、

「情感たっぷりで、心が揺さぶられた」

「もっと淡々と読んだ方が良い」

こちらは最近、

「映像がなくても、語りと音楽だけで目の前にわーっと情景が広がって来た」

「映像があったらもっと良かったのにと思う。来場していた子供たちのためにも」

 私が、想像力にも個性がある、ということを実感する瞬間です。

 子供であれ大人であれ、聞き手自身の想像力に関する素養(経験や知識、好みによるインスピレーションなど)は様々なわけですから、淡々と話されることでアグレッシブに食いつけることもあれば、多様な声音を使い分けた抑揚や緩急のある語りに魅入られることもあるのではないでしょうか。

 子供の感受性はタフで柔軟です。好きや嫌い、良いと悪いを本能的に選り分けます。バラエティ豊かな表現の中からもちゃんと「自分の好きな表現」を取り出し、ちゃっかり真似て他の場所で応用したりもします。大人だって、それぞれ想像力を膨らませるための材料のストックに違いがあれば、享受できる情報量にも当然差は生じます。

 自由な表現が許容されない状況下では、魅力的な語り手は育ちにくいと思います。それは同時に、しっかりと聴く力を持った聞き手も育たないという連鎖になりかねません。重要なのは、語り手が目的や役割によって表現方法を変えていく柔軟性を備えることで、幅広い層の聞き手と良好な関係を築いていくことなのではないかと思うのです。