思えばあれから20年
ここ数年嵯峨くんが演奏で参加させていただいてる演劇作品の脚本・演出家 櫻井幸絵さんが、時計台コンサートで初めて野花南のパフォーマンスを見て、FBに素敵なコメントを載せてくださいました。
思えば、野花南を結成したのも、NHK室蘭放送局でリポーターの仕事をしていた折り、当時ご縁のあった静内の中学で嵯峨くんの馬頭琴と一緒に「スーホ」の朗読をさせていただいたことがもともとのきっかけでした。あれから、この11月でちょうど20年になるわけで(うわ〜)、いろんな面でいろんなこともあったけれど、やっぱり続けてきてよかったのかな、と思います。
櫻井幸絵さんのコメント(FBより)2017.11.15〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
演劇とダンスの融合とか、音楽と演劇の融合という言葉は実は恥ずかしい。「私たちこれからセックスします」って言われてるみたいで恥ずかしい。
融合は目的ではなく手段に過ぎないし秘め事でありたい。じゃあ何のための手段なんだろ?
先日、嵯峨さんご夫妻の朗読劇「スーホの白い馬」を拝見した。長年のパートナーであるお二人のシンクロ率はそりゃハンパない訳なんだけど、朗読のぽんちゃん、馬頭琴で劇伴する嵯峨さんの立場が明確に分けられていて、その境界を一ミリも冒すことなく、しかし一ミリのズレもなくストイックに並走している様は見事だった。
映像的だよな、と思った。音楽によって叙情的な色づけをするのではなく、嵯峨さんの馬頭琴の音色は風景を描いてゆく。音声によって映像を描き出すってなんて不思議なんだろう。
あ、そっか。言葉だ。
モンゴルの草原に吹く熱い風。
競馬場の歓声。
瀕死の愛馬のいななき。
朗読の言葉で描かれた情景に音楽が合わさると脳内で映像化される。母音と子音みたいに、融合によって第三の要素が生まれる。
おーもーしーろーい。
もちろん嵯峨さんの演奏とぽんちゃんの朗読にとてつもない情報量が含まれてるから可能な事だ。2人が出会ってからこれまでの全ての時間が厳密に選別され端正に研がれ、スッとこの短い物語に収まっていて美しい。
語りと歌と体と音楽と空間と想像力のマルチメディア。
ぼくが演劇と呼ぶあの黄金比。