空のっぽと雲ひげ

サンドアートとつれづれ日記

読み聞かせについて思うこと

先日のコンサートの打ち上げの時、いろいろな方とお話もできいろいろ勉強になった中で、改めて気づいたことがありました。参加されていた方の中に図書館関係の仕事をされていたという方がいらっしゃったのですが、「ボランティアの方に読み聞かせを頼むとそれぞれのグループによって『淡々と読んだ方がいい』とか『抑揚をつけない、余計なことはしない』などいろいろあって大変みたいでした」とのこと。これはけっこう聞く話で、読み聞かせや朗読関連のサイトでも時々目にします。

読み聞かせに関するそういった意見の理由としては、聞き手である子供たちの想像力の邪魔をしてはいけない、ということらしいのですが、でも、果たしてそうでしょうか。想像力は自然と湧いてくるものなのでしょうか。想像力は共感能力や思考そのものにも通じています。であるならば、それらと同じように経験や周囲のアドバイスによって助長され、自我が発育していく過程で自分は何を良しとするのか選択しながら磨いていくものなのではないでしょうか。

個人的には、いきなり「どのように読み聞かせるか」を論じるのは、読み手の資質を無視した大雑把なやり方のように思えます。「淡々と」読もうと、「手振り身振りをいれながら抑揚をつけて」読もうと、それがしっかり聞き手を楽しませることのできるクオリティであれば十分なのではないでしょうか?

教育的立場から主張する「教育的な読み方」ということでしたら、また別に検討の余地もあるのかもしれませんが、100人の読み手が100人とも同じ読み方をすることに聞き手は楽しみを見出せるでしょうか?

「好き、嫌い」は十人十色です。これは朗読や読み聞かせに限ったことではありませんが、表現者のモチベーションを維持するためにも表現の自由にはある程度の寛容さは必要だと思います。

以前7歳の息子に訊いたことがあります。「淡々と読んでもらうのと、ドラマチックに読んでもらうのとどっちが面白い?」すると、息子は即座に答えました。「ママ、大人が面白いと思わないものをこどもが面白いと思うと思う?」

なるほど、と思いました。これはまさに、正解のひとつです。

読み手は、物語の水先案内人です。自分にしか見せられない世界を案内することに喜びがあります。

より大事なのは、「淡々と」読むかや「ドラマチックに」読むかではなく、聞き手を楽しませ自分の話す物語の世界にぐっと引き込む自分なりのスキルを試行錯誤して身に着けていくことだと思います。作品によってアプローチも変わるでしょう。「どう読むか」というプランの選択肢はそこから増えていくはずです。

音楽と同じように、読み聞かせや朗読にもいろいろなジャンルがあると、そう考えた方が読み手聞き手双方にとって楽しみが広がっていくのではないでしょうか。