空のっぽと雲ひげ

サンドアートとつれづれ日記

人間にもし耳がなかったら?

 今朝ご飯を食べている時ちゅんちゅんが突然、「ママ、もし人間に耳がなかったらどうする?」と訊くので、考えてみた。(ちゅんちゅんがそんなことを口走ったのは、昨夜「秘密のケンミンSHOW」で’耳うどん’のことを取り上げてたせいかも)。

 「耳がない」ということは、人間の生態からして絶対代替になる機能が別の形で備わっているはずだ。世界中の人がテレパス(精神感応者)っていうのも困った状況だけれど、もしそんなことがあり得るとしたら、ホンネとタテマエの発信と受信を各人がうまく使い分けできるようになっていなければならない(能力格差としてのウマヘタがあっても)。とすると、まず発声が必要なくなるわけだから、声帯はいらなくなるということか。じゃあ、歌手の人なんかはどうしたらいいのだ?音楽はどうやって聴いたり聴かせたりしたらいいのだろう。そういった付加価値的な「感応」は、プチ手術(レーシングみたいなの)で手に入るとか?

 そもそも、空気の振動としての「音」を捉えられないということ自体が人間の生態にとって不利益極まりない。順番としては、「精神感応時代」から「耳の時代」へという流れもありだろう。

 そう言えば、日常の中で無意識に、半分テレビを見ながら半分いつかの出来事を思い出してる時がある。あれはたぶん、今そこにあるものを実際の視覚と聴覚で捉えているのと同時に記憶の中の視覚と聴覚も作動しているということだよね。もし今観ている番組が料理番組で思い出しているのが食事の場面なら、それに味覚も加わることになる。

 この記憶の中の五感って、いったいどこで感じているのでしょう。やっぱり実際の五感を使い、同時に重複して知覚出来ているのでしょうか?・・・それとも、五感にはそれぞれ段階があったりするのかな(層位とか、次元とか)?う〜ん、おもしろくなってきた。今度調べてみようっと。