今ここに在ること
時々、「人生は何でもあり」だったことを思い出す。信じられないことも信じたくないことも、たくさん起こる。
一月ちょっと前、友人の訃報を知らせるメールが届いた。何度も読み返した。
そのうちまた、家に遊びに来てもらうつもりでいた人だった。可愛くてユーモラスな個性と、美しい歌声の持ち主だった。「少しくらいの狂いならなら、ピアノは調律しなくていいよ。その方が味があるもの」と、音大卒業生にあるまじきことを言って笑っていた、私と同い年の彼女。
携帯電話で別の人の番号を探している時、彼女の名前を目にして、現実を受け入れることへのやりきれなさに思わず目眩がした。
つくづく、私たちは自分と縁のある人たちとお互いに照らし合って生きているのだな、と思う。私の照らしていたひとつの命が失われたので、私を照らしてくれるそのひとつの輝きが消えてしまったのだ。その暗さといったら・・・。
そうか、私はこんなにも彼女のことが好きだったんだ。
消えることが悪いわけではない。生成と消滅は自然の摂理、宇宙の法則だもの。消え方が問題なのだ。彼女に関しては、とりもなおさず、その時期が早過ぎたということ。
本当に、それが惜しまれてならない。
今の私に出来ること。厳粛に受け止めること。
「今ここに自分が在る」ことを。