私たちはいなくなる
「ぼくが47さいになったら、ママはなんさいになる?」
えっと、何歳かな?とりあえず、ままはもうおばあちゃんだね。
「ぼくが89さいになったら、ママはなんさいになる?」
ちゅんちゅんが89さいになったら・・・、
ママはもう・・・いなくなってるね。
「しんじゃうの?」
そうだね。
「ぱぱも?」
ぱぱもね。
「じゃあ、ぼくひとりになっちゃうね」
えっ、いや、ならないよ、たぶん・・・。
「けっこんするから?」
うん、そう、たぶん。そして、幸せに暮らしてて欲しいな。
「だけど、ママもパパもいなくなるんでしょ?」
うん、そうだよ。
「だったら、ぼくもいなくなる。さびしいもん」
ちゅんちゅんとこんな何気ない会話をしながら、ものすごい発見をしました(というか、5歳児が「死」というものを意識している・・・これもかなりすごい瞬間ですね)。
これはあくまで、<あの世>というものの存在に関して半信半疑でいる私自身の感覚ですが。
この世に残される側の気持ちになってみると<あの世>という言葉は気休めでしかないのに、残していく側の気持ちになってみると、<あの世>は、「あるんじゃないか→絶対あってほしい→ある→なければ困る→何が何でもそこでこの子を見守り続けるのだ!」という、これまでの自分の死生観を一気に覆すような勢いで心の中で実体化するのです。
<あの世>は、本当にあるのでしょうか?私たちはどう「いなくなる」のでしょうか?いずれにしろ、嫌でもその真偽を確かめられる時が来るのですね・・・。
ああ、今日は七夕だ。