空のっぽと雲ひげ

サンドアートとつれづれ日記

語りの世界

 本日、NPO法人 語り手たちの会の会誌「語りの世界」52号〜特集・子どもたちに語りをどう手渡すか〜 が送付されて来ました。

 下記、今回寄稿させていただいたものを、アップします。(そう言えば、タイトルをうっかりつけ忘れていました。こちらのタイトルは、おそらく編集部の方がつけてくださったのですね・・・ありがとうございます^^。)

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「いま、求められている語りとは」    田中孝子

■北海道における語りの伝承の現状

 北海道における口承文芸の研究は、「ユーカラ」などのアイヌ民族の伝承に重点が置かれている。一方、後から入植した和人の口承文芸に関しては資料が少ない。

 この和人の口承文芸は、明治初期に政府が大規模な「北方開拓」に着手するおよそ680年以上も前、すでに北海道南部に本州から人が入り定住するようになった頃から始まった。蝦夷地へ逃れてきた源義経と恋仲になったアイヌの娘の話「女郎子(めのこ)岩の伝説」や、行脚僧 円空の彫った仏像の話「礼文華(れぶんげ)の岩屋洞窟観音」のように、北海道ならではの物語が伝わっている。

 本州に比べ歴史の浅い北海道の民間説話は、伝説のもとになった場所や人・物の形跡及び噂が残っている可能性もあり、口承文芸がどのように培われるものなのかを推察するのに有効な資料である。しかし、語りの題材としては、その新しさゆえに昔話としての取り組みにくさがあるせいか、現在北海道で活動する語り手が実際に語るものには北海道にまつわる話が少なく、本州の民話や外国の民話童話寓話などの方が多く見受けられる。

 今年の6月、「北海道語り手ネットワーク 第5回おはなし会」が札幌で行われ、道内各地から85名が参加した。

 このネットワークは、道内の語り手の交流の場として2005年に会員制をとらない形で有志によって始動し、翌2006年から毎年「おはなし会」を開催、2009年に正式に設立された(これ以降、「おはなし会」は隔年開催)。現在個人団体合わせて23の会員が籍を置いており、運営委員会は年3回の会報発行と総会の開催を実施している。

 発起人の一人である「札幌おはなしの会」代表の平野美和子さんによると、ネットワーク設立の前後で次のような状況の変化や問題点が見られると言う。

○「おはなし会」において、普段顔を合わせることのない様々な語り手の持ち話や語り口を聴くことで、参加者が良い刺激を受けられるようになった。

○「おはなし会」に参加する語り手のレベルが向上したことで、イベント自体は充実してきたが、こうした場で自分の語りを披露するということに気後れする人も多く、新たな語り手として参加する人材の確保が難しくなった。

○会員・非会員を問わず、現在語りの活動をしているほとんどのグループが図書館ベースのボランティア団体であり、メンバーの年齢層はやや高めで、その活動は施設や学校・図書館等におけるボランティアが中心である。それぞれのグループが大人対象のおはなし会を定期的に開催するなど、来場者数を徐々に増やすべく努力しているが、「テキストを暗記しなければいけない」という思いこみから語りに対する敷居の高さを感じるせいか、入会希望者は少ない。

■自身の活動から見えてきたこと 

 私自身は、「馬頭琴奏者と一緒にステージに立ち、馬頭琴の伝説を語る」というパフォーマンスを職業にしている(会報「太陽と月の詩」参照)。10数年の活動の中でずっと抱えている問題に、レパートリーをなかなか増やせないということがある。これは、(1)新しい演目を披露する機会がそう頻繁にない(2)語りの参考にするテキストを、自分の言葉やリズムに配慮しながら再話するため、テキストづくりに時間がかかる(特に、生演奏とのコラボレーションを目的とした作品に関しては、演出上、相手と掛け合うタイミングを見計らったり表現の担当を振り分けたりする必要がある)ということに起因している。

 しかしながら、数少ないレパートリーをどう磨いていくかの試行錯誤からは、収穫もあった。例えば、昨年から始めた「物語と音楽のコンサート」と題するソロ活動の中では、自分自身で楽器を演奏しながら語りや朗読をするスタイルを試みているが、演目のすべてを一人でこなすのはなかなか難しいものの、演奏曲目や語りと音楽の絡み・間の取り方などを自分の好きなように組み込めるので、ライブにおける表現の可能性が広がったように思う。

 もうひとつ、試行錯誤から学んだ重要なことは、おおかたの聞き手にとって、語り手がテキストを持つか持たないか(暗記して喋るかどうか)はさほど問題ではないということだ。聞き手は、語り手と目が合おうが合うまいが、語り手がベテランであろうがビギナーであろうが、語り手の表情や身振り・声音の使い方を見ながら物語の面白さをしっかりと肌で感じ取る。だからこそ、語り手の目標は、話を一字一句間違えないことではなく、聞き手とともに話を楽しむことに置くべきではないだろうか。自分の心を動かした物語を、自分のやり方で温めながら、機会あるごとに語り広めていく。自分はそのようなタイプの語りを続けていきたいと思う。

■次の世代の語り手を育てるために

 私自身には、絵本を読み聞かせてもらったり昔話を聞かせてもらったりした記憶がほとんどない。しかし、自分に子どもが生まれ、その子どもに読み聞かせや語りをするようになってから、初めて臨機応変さの必要性や顔を見て話す方がよい理由、またそのタイミングの計り方などが自然と理解できるようになってきた。

 子どもは、母親のまなざしが自分に向けられることで、自分に語りかけてくれているという安心感と心地よい緊張感に包まれ、聴くことに集中できる。話の合間に疑問を投げかければ、母親はそれに答えたり一緒に考えてくれたりする。緊密な連帯感を持って物語の世界を共有しその中で遊べることは、子どもにとって楽しくて仕方ないらしい。語りとは、基本的に聞き手の気持ちに寄り添いながら、アドリブを交えて物語ることなのだとあらためて学び直している。

 子どもは、こちらの読み聞かせや語りを聴きながら、いつのまにか同じイントネーションや間の取り方を真似て、自分自身で「語り」始める。さらに、自分なりのリズムや声音までも使い、ものすごい速さで「聴く喜び」を「語る喜び」に発展させてしまうのだ。これは、おそらくすべての子どもが持っている可能性であり、さらには、すべての「語り手」が持つ根元的な表現欲求に直結するのかもしれない。

 

 物語を語ること〜ストーリーテリングは、子どもの読解力・構成力・表現力・好奇心・集中力・想像力・応用力を高める。自己実現の模索を始める多感で柔軟な時期に、例えば小学校の国語の授業の一環としてストーリーテリングを取り入れたり、地域の活動として子ども対象の語り教室を開催することは、情操教育に有効なだけでなく、子どもに物語を語る楽しさを教え、ひいては未来の語り手の育成にまでつながっていくのではないだろうか。そして、その前段階として、子どもに語り聴かせる方法を知りたがっている子育て真っ最中の若いお母さんたちに学びの場を提供することは、非常に重要なことだと思う。

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【参考】

website

・北海道立アイヌ民族文化研究センター 

http://ainu-center.pref.hokkaido.jp/

・「食育・育児・教育の情報源」

http://education.chase-dream.com/

文献:

・「ほっかいどうむかしあったとさ(道南編)(道央編)」

坪谷京子著 共同文化社